| 四方山話(モデルアート同好会) | ||
|
|
モデルアート同好会四方山話モデルアート同好会に関する四方山話を。暇つぶしに書いたり、日記の移動だったりする。なれそめ 再生 モデリング 絵描き 越冬 猛暑 終焉 なれそめ初めてその同好会の存在を知ったのは、1年の夏だった。当時ロボットコンテストに参加する先輩にくっついていろいろやろうとしていた頃の話だ。夏休みに合宿を張っていた我々のところに、5年生の先輩に客が来てゲームをしたり話をしたりする別の先輩がいた。この先輩はNECO氏といい、かなり趣味の合う先輩であった。そこから一年後、どうもロボットコンテストのロボット製作が面白くなくなってきた。というのも、メンバーが20人くらいになると派閥が出来るやら仕切りが現れるやらで、どうもやりづらくなってきたのでやめようかな、と思いはじめていた。NECO氏もいい加減イヤになり始めていたので、これはもうやめようと決心。 ところが、やめたらやめたで何も打ち込むことがなくなると寂しいので何かやろうと思ったころ閃いたのがモデルアート同好会である。NECOさんの代までは結構盛況だったようなのだが、今では5年生がひとりと1年生が数人いるだけだという。一応そこの活動目的は模型製作ということにはなっていたが、実際はほとんど開店休業状態らしい。模型を作るのもまぁいいか、本格的にはやったことがないが元来物作りは大好きで、それならばと入会。ここでTF君やすとん君と出会う。 ところが、何が火種になったのかそれと前後して前述のTF・すとん君のほかに雁柚・shuu・氷夷・shout・こばやし・kiriu君ら、つまり現ColorfulCubeの全員を含むメンバーが揃ってしまったのだ。もともと電算同好会というグループの一員でもあった我々は当然意気投合、瞬く間にプレハブ長屋の一角に城を作ってしまったのである。 再生とはいうものの、ここの本業は模型製作である。最初こそ全員が何らかの造型に向かっていたが、ここの雰囲気が好きだとか、TRPGやりませんかだとか、同人誌作りませんかだとか、好き勝手にやりたいことをやり始めるために更に人が集まり始め、気が付いたら名簿に載っている人だけで15人になった。たかだか10坪の部屋にだ! 人間おきて半畳寝て一畳というが、座席は14しかなく、常時作業している8人以外は適当に開いている席を占めるという状態が続くことになる。モデリングまず、本来の目的である(はずの)モデリングであるが、それはまぁいい加減なものであった。何せ一番の作り手である氷夷であるが、なんと陸上部との掛け持ち(笑)。あとこれをメインに作業していたのはこの俺と、雁柚・こばやしぐらいなもので、いまいち盛り上がらなかった。それでもこの3人は年産約2台だが、やはり最大の問題点は全員が遠距離通学ということであろう。もっとも他のメンバーもまったく知らん振りではなかったが、いろいろと笑えるエピソードには事欠かない状態だった。たとえばVガンダムのビームシールドにグレーのサーフェイサーを吹いてコンクリートシールドにしてしまったり、トヨタ・セルシオのガラスをサンディングしてしまいスモークガラス車にしてしまったり、ミレーヌ・ジーナス専用バルキリーの足をピンヒールに改造したり、どう見てもシンナーでラリってるとしか思えないような状況が散見された。 また、雁柚が作っていた戦車や俺が作っていたフォーミュラカーなど、手すりやミラー等の極小部品がピンセットから飛んでしまい、2時間探した挙句見つからず自作しなおしたりしたこともある。もっともこのミラーは2ヵ月後掃除していたときに発見されたが当然後の祭り。手すりは1ヵ月後に俺が発見したが、そのとき既に俺が踏みつけて粉々になった後だった。 極めつけは、こばやし君の作業場所である。彼は正座を好み、しかも机を散らかすので、地べたにミカン箱を置いて作業していたのである。では彼の本来の作業場所である机の上はどうなっていたかというと・・・・TVとスーパーファミコン、それにネオジオCDが占拠していた。こんなところにこんなものがある時点で既に破綻しているような気がするが。 主に好まれたのは、世代を反映してモビルスーツ。最大多数はやはりモビルスーツを含むレイバー・バルキリー等のロボットで、車は少数派、戦車はただ独りであった。変り種としてはZOOMのモドキなどがある。ちなみに俺はレーサー(車ね)とロボット。 絵描き絵描きも多くいた。多くといっても、どうも3人くらいじゃないかと思うのだが。普段から積極的にというとおそらくkiriu独りではないかと思うのだが。同人誌を作って売ろうという無謀な話が出たことがある。というか実際は作ったのだが、同人誌というよりはただの活動報告ミニコミ誌みたいなものだが、コピー本とはいえちゃんと頒布したのである。今考えてみると計画から後始末まで、非常に問題のあるものだったが、驚きだ。 では問題があった点は何かというと、まずは何を書くかまったく決めなかったこと。俺も寄稿を依頼されたのだが、何を書くか非常に迷った。迷った挙句、作業中のシュールなエピソードを書くことにしたのだが、なんであんなもので笑えるのか今考えると不思議であるが、当時は大ウケであった。が、残念ながら俺はサンプルを貰ってないので誰か持ってたら見せて欲しい。 次に問題があったのが、その印刷工程。なんと夜中に学校本舎に忍び込んでコピーである。非常にまずい。なにせ家屋侵入に窃盗のオマケつきである。刑事事件の時効というものがなければ、とてもこんなところでは語れない話である。二度で二千数百枚のコピーであるから、十数万円か・・・・とんでもないな。 越冬このようなプレハブ長屋だと、岩手の冬は大変だ。家の中が暖かいというのは、家の中に熱源があり壁で遮蔽されているからであって、人が住んでいるわけでもないプレハブ小屋は当然外気と同程度の寒さであり、せいぜい雨風や雪が凌げる程度であった。もっとも吹雪で出入り口が固まることもあったが・・・・。手っ取り早い暖房であるが、まず灯油ストーブである。シンナーを多用するプレハブ部室、しかも隙間の向こうには美術部や自動車部など、揮発油には事欠かない状況で灯油ストーブなどとても正気の沙汰とは思えないが、実際使っていたのである。名目上、シンナーを振りかざしながらストーブなどというと学生だけの話ではなく火気責任者のクビが飛ぶ話になってしまうので、外向けにはストーブとシンナー作業を両立させないということにはなっていた。 しかし考えてみると、二つ向こうには自動車部があり、天井の隙間で繋がっている以上引火の危険は避けようもない。そこで出てきた案が「天井の隙間を新聞紙で塞ごう!」である。実際これは効果覿面で、シンナーの匂いはしてもガソリンの匂いはしないという状況になり、みな喜んでストーブで暖をとった。もっとも、ガソリンの匂いが来なくてもシンナーの匂いはしていたわけで、やはり皆ラリってるとしかいいようがないのには変わりはない。 また、その新聞紙の詰め物が、大嵐のときに飛んでしまい、隣の美術部に怒られたり、暖かいことをいいことに窓を締め切ったもんだからいつ死んでもおかしくない状態ではあった。自覚あったのかみんな? (自分はまったくなかった) また、この灯油は学校の配給制である。しかし当時灯油ストーブなどを使っていたのは我々だけで、しかも消費量が限界(規則で定められた配給量18リットル/週)ギリギリ。怪しまれていたのはまったく間違いないし、第一これはルートを辿れば国家予算から出ている金で購入されたもの。まったく、今考えると恐ろしいことだ。 さて、この越冬は二つの意味があった。 通常、つまり閑散期は昼休みと放課後だけストーブを使用する状態。寒いため塗装や造型はほとんどしないのだから、暖房は特に危険ではなかった。作業はせいぜいが切削や研磨で、接合や塗装などはほとんど冬を避けて作業していたためまったく問題にはならなかった。 では通常ではない場合とはいつかというと、学園祭前の繁忙期である。早いもので1ヶ月前から泊り込むかそれに近い状態になるのが、開催される時期は10月末である。夜は一桁温度も当たり前、ひどいときは零度近くまで下がる日もある。そのため、仮眠するにも暗幕と毛布をありったけ動員し、ようやく生きていられるという程度のもの。 それだけ寒いとまともな作業など出来るわけがないのだが、締め切りに追われているのでそんなこともわからないのである。塗料の乗りは悪いし、第一パテで造型などしようものならその部分は乾くのに1週間。かといって多くのものが作業するこの時期は灯油ストーブなどとても危険で使えない(さすがにそれくらいは理解していた)ので、ではどうするかというと人熱暖房と電気ストーブである。炎が出ない電気ストーブは引火の危険が多少抑えられるからだ。ただし、自動車部その他が活動している間はブレーカが落ちるため使えなかった。夜中限定である。 また、冬ならではのイベントではあるが、一度など鍋パーティを開催。冬、しかも10月の夜中で外気は摂氏5度であるのに、室内は28度の真夏空間になってしまった。買ってきたビールもすぐに不味くなるので、当然一気飲みするか、室外で保管するしかない。 この他にも部外者も含めて十数度の酒盛りをここで開催しており、発覚した場合これは退学処分である。見つからなくてよかった。ちなみに、前述の鍋パーティ時には酒を持ち込む5分前に警備員が巡回しにきた。よく考えたらそんなところで鍋を突付いている時点で既にヤバいと思うのだが、あそこの警備員は仕事をしているのをほとんど見たことがないなぁ。 猛暑冬に前項ほど寒ければ、当たり前のように夏は暑い。窓から扉まで締め切った状態のプレハブ小屋がどれほど危険かというと、死にそうなほどやばい。一度室温計を置いていたが、怖くて置かなくなってしまった。8月のピーカン照りの日は45度近い暑さになってしまう。というわけで、夏は朝から夕方まで、入り口の扉と窓は全開である。物騒だが、それでも盗人に入られたことはない。塗炭屋根だから窓を開けていても外気より暑いため、入る気力がなかったものと思われる(笑)。回避するために打ち水を行うも、大して効果はなかった。その原因に、隣にあったタイル張りの制御情報工学科棟の照り返しがあるだろうが。 そこで、屋根の上に水を撒くという、今更注目されていることを12年も前に敢行。といってもこれはすぐにこれは隣の自動車部に知れることとなり、自動車部は持ち前の技術を生かして散水設備を構築。技術力の違いを思い知らされた。とはいうものの、自動車部は角部屋であるためそれが可能だったが、長屋の中央に位置する我々には不可能な話で、結局人力で散水し続けるか、それとも我慢するかという二者択一になった。面倒がって誰もやらないので、後者になったわけだが・・・・。 代わりに導入されたのが扇風機である。本当は換気扇が欲しかったのだが、冬の嵐に耐えられないだろうと思い、窓際に扇風機を置いて我慢したのである。そのおかげで、結構部品が飛んだり、舞い上がった塵芥が塗装面に張り付くなど、デメリットも大きくなったが。 話は変わるが、冬を越す男がいれば当然夏を越す男もいるわけで、約2名がその荒行に挑んだ。俺と雁柚である。もっとも、朝10時にはとても暑くて起きられないほどになるので、これはすぐに廃れた。近所の先輩の家に居候して代償としてトイレ掃除するほうがよほどマシである。 終焉終わりは突然やってきた。なんと、同好会継続申請書の提出を忘れるという最大のミスにより、突如同好会が(公式には)消滅。まず最初にやったのは、延命処置。再結成を行うには我々の素行が悪すぎたため(笑)、部室をすぐには空けられないという名目で1年間の延命を図る。1年後再結成を学生総会で議題にかけるという話も出て、表面上1年間は存在が許されたわけだ。この時点で1年後の消滅も決まってしまったわけだが・・・。 1年間の存続条件としては、同好会使用の部室内に一坪の資材置き場を設けること。これも痛い条件ではあるが、呑まざるを得ないのが立場というもので、一応場所は作った。が、条件が「同好会援助費の廃止」と「一坪の資材置き場」だったので、部屋をベニヤ板で仕切ってハイおしまい、ということで済ませた。援助費はもともと使ってなかったので問題ナシ。 で、ここに至るまでも非常に困難で、最初学生会側はこちらの申請漏れを大義名分に「即!取り潰し!」というつもりだったらしいが、こちら側は学生会側のほんの些細な手順抜けを重箱の隅をつつくかのように指摘して泥沼化させ、学生会顧問を巻き込み無理矢理手打ちにしてもらった。ちなみにこの顧問の先生、漢字で書いてさえ苗字の一文字目と名前の一文字目が同じ文字である。どうでもいいが藤田田を想像してしまうなぁ。 さて、その後1年間は資材置き場と共にプレハブの一角を占拠。もっともこんな場所に資材置き場があったって誰も使いたがらず、我々の一時ゴミ置き場にしかならないのは当たり前である。むしろ、外部から見えなくなる壁が出来上がり、 そして1年後、再結成を目論むも予想通り失敗。解散となった。明渡しの際は資材その他を持ち帰るのが困難で、結局のところ廃棄したものも多かったなぁ。今ならマニア垂涎のCDも混じってたし。しかし全て無理矢理燃やしてしまったため大して面倒でもなく、むしろ酒瓶の処理のほうが余程悩んだくらい(笑)。 おしまい。 | |